26歳主婦のなさがわです。
今回は、うつ病について、私自身の体験談も含めてお話ししていければと思います。
自分自身、この病気とは縁のないものだと思っていましたが、本当に
誰でも簡単にかかってしまう病気です。
「気を付けてください」といったところで、健康な人は普通は「無関係」と思う病気ですので
気を付けようがないと思います。
それでも、何か参考になることがあればと思い、書きたいと思います。
【うつ病とは?】
そもそもうつ病とはどのような疾患で、どのような状態を指すのでしょうか。
うつ病・・・精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど、様々な理由から脳の機能障害が起きている状態。
イメージとしては、「気分が落ち込んでいる」「暗い」「否定的な発言をする」など’’こころ’’(気持ち)の問題であるかのように
考えますが、こころの問題=脳の問題であることを理解しておきたいと思います。
例えば油物を食べすぎて胃がもたれてしまうというような経験がある方いらっしゃるかと思います。
胃は体の臓器の一つ。同じように脳も臓器のひとつです。
つまり、胃もたれと同様に過剰に臓器を使ってしまったために起こる疾患のひとつです。
この辺りは諸説たくさんの解釈があるかとは思いますが、私が今までに調べてきた中でまとめるとこのような感じです。
かかってしまった人のせいではない
ということを強く言っておきたいと思います。
また、うつ病はこころの症状だけではなく、からだにも症状が多くの場合あらわれます。
そして、うつ病のはじまりに気付くきっかけとして、こころの調子よりもからだの調子の悪さに気づき、
うつ病が分かるケースの方が多いと言われています。
●こころの主な症状●
・抑うつ気分
・不安・あせり
・遠くへ行きたい・消えてしまいたい
・興味または喜びの喪失
・意欲の低下・億劫感
・自分を責める
・会話や本などの内容が頭に入ってこない
●からだの症状●
・睡眠障害
・食欲の減退
・疲労感・倦怠感
・動悸・息苦しさ・口が渇くなど
・からだの重さや痛み
いづれかの症状が長期に渡り続いており、そのために生活に支障が出ている/出始めているのであれば
受診を必ずした方が良いです。
尚、治療のための薬についてや治っていく過程については知識が曖昧なところがあるので書かないでおきます。
【うつ病のはじまり】
ここからは、私自身体験したことをお話しします。
うつ病にかかったのは今から約1年半前、現在症状はほとんどなく生活できています。
また、1年服用し続けていた薬を断薬中です。
これに関しては、また別の記事で書きたいと思います。
短大を卒業した後、地元の保育園に就職。
定員数が70名ほどの中規模と言われる保育園に、新卒から3年勤務しました。
田んぼに囲まれたのどかな環境で、のびのびとはじめの3年働かせてもらったと感じています。
その後、4年目で異動。次に移動したところが定員300名近くの大規模園。
+街中の中心、看護師の配置された園だったので、医療的配慮を必要とする子も多く在園していました。
1園目とは子どもの人数、園自体の規模、配慮、保護者の体質etc…いろいろなものが違う園への異動
クラスの保育に悩み、保護者の対応に悩み、先生方とのコミュニケーションに悩み…
お察しいただいている通り、私はこの異動でうつ病を発症することになります。
その時は、ちょうど発表会の計画段階の時期でもありました。
発表会といえば、子どもにとっても保護者の方にとっても、そして私たち職員にとっても1年で1番の大イベント
といっても良い行事です。
また、その少し前からある園児の個別対応について悩んでいたこともあり、
精神的にはかなり張りつめていたと思います。しかしながら、そこは発表会の時期。
精神的に張りつめる感覚というのは、毎年の事なので、自分としては変わりないと思っていました。
ただ、いろんなことで悩むうちに、
「また私ダメだったな」「私の考えが甘いからだな」「私が出来てないんだ」
と心の中で言うことが増えていったように思います。
ある日、自分でも予期せぬ事態になりました。
それは、通常通り車で出勤するため車庫に行った時の事。
車に段ボールを積み、出発しようとすると
「あれ、車のカギがない」
性格的に忘れっぽい性格なので、忘れ物や物をどこに置いたか忘れるなんてしょっちゅうあります。
ただこの時は、車のカギを失くしてしまったダメな自分と思ってしまった。
もうパニックでした。
車の鍵さえ管理できない自分は、仕事もうまく出来るはずがないと、
車庫で叫び声をあげて泣きました。過呼吸になりました。
驚いた母が家の中から出てきてくれましたが、正直その時のことはよく覚えていません。
【うつ病になってしまった】
その日は仕事を休み、病院へ行くことにしました。
病院で一通り問診や、話しを聞いてもらった後降りた診断が「うつ病」と「適応障害」でした。
何かを話そうとすると涙が出てしまい、気持ちが高ぶってしまう。
この状態はもう日常的に問題になってしまうから、休職しましょう。
診断された休職期間は2週間でした。
しかしこの2週間で治るわけもなく、結局年度末の3月まで休職、そのまま退職を決めました。
その時に処方してもらった薬は2種類、後に不安になった時に飲む頓服薬を処方してもらい
症状は徐々に落ち着いていきます。
【私に起こった症状】
私のうつ病は、程度でいえばまだ軽い方ではあるそうです。
しかし、寛解(うつ病に完治はないので、良くなった状態をいいます)まで1年。色んな症状がありました。
●初期の酷かったころ●
・とにかく眠い
うつ病は不眠症になることが代表的に書かれているケースが多いですが、私の場合は過眠でした。
2か月くらいはトイレ以外は寝ていました。ほんとに。
・食欲減退
はじめの頃はご飯を食べる意欲が湧かず、バナナのみの生活が何か月か続きます。
・まわりの人にとにかく申し訳ないと思う
同じ園の職員、クラスの子ども、保護者など仕事に関わる人へはそうですが、
例えば病院に送ってくれる母には、申し訳ない気持ちが大きく涙が止まりませんでした。
・突然悲しくなる
何を考えるでも、何をするでもなく、突然気分が悲しくなり涙が止まらなくなります。
頓服薬がこの頃は手放せませんでした。
・頭が真っ白になる
これも突然。頭が真っ白になり、体も動かせなくなりました(筋肉の硬直などではなく、脳の問題かと思います)
自分でも、担当医でもよくわからない症状でした。
チョコレートをその時は数粒食べると、体を動かせるようになりました。
・すぐに体が疲れる
ご飯を食べるために起き上がると、食べ終わった頃には疲れてしまい横にならないと持ちません。
また、外出をして帰ってくると疲れと緊張から気持ちが楽になるのか、よく泣きました。
・「消えたい」と漠然に思う
私の場合、死にたいは1度も思いませんでした。ただ、スッと自分がここから消えてなくなればいいのに
ベランダから飛び降りたら消えられるかなぁ(決して死にたいという感情ではないんです)
と、事あるたびに考えていた時がありました。
●治って来た段階~寛解まで
・過眠は継続
2018年12月~ようやく疲れても過眠程度で動けるようになりました。
その前までは、少し出かけるとその後3日間は眠り続けるようなことが普通でした。
・家族以外の人に会えるように
家族以外に会うのがめっきり怖くなってしまっていましたが、友だちや、同じクラスで働いていた先生に会えるように。
久しぶりの職場へ自分の荷物を取りにいくと(園長先生が、誰もいない夜に配慮をしてくださいました)
クラスの子どもたちから「ありがとう」のプレゼントと、発表会のビデオをもらい、号泣。
その時までは保育士には二度とならないと思っていましたが…子どものパワーってすごいです。
・少しずつ運動ができるように
やる気が長い間でなくなってしまっていたため思うようにできませんでしたが、少しずつ続けることで
体力も戻り治るきっかけのひとつになったように思います。
・笑う
酷い時期なんて笑う力も感情もありません。
まわりの方のおかげだと思っています。これが自分にとっては1番でした。
【まとめ】
いかがでしたでしょうか。
現在は、以上のことが遠い昔感じられるほど元気です。
私がよく思うのは、うつ前、うつ後、どちらが本当の自分なのか?ということ。
どっちも自分なんです。ただ、まわりの人にはうつになる前の私に戻ってくれた!と言われますが、
自分にいまの自分が戻ったという感覚は私にはありません。
なぜなら、物事に対する考え方が少し変わったからと思うからです。
うつ以前の私は、どちらかというと自分の考えに自信がなく、何か困ったことがあっても積極的になれずに
でも、自分には厳しいといったような
自分で自分を苦しめているような性格でした。
しかし今は、失敗してもどんどんやってみよう、発信してみようという積極性がなんだかわからないけど満ち溢れていること、
自分を信じてみようと思えるようになんだかわからないですがなっています。
先ほども書いた通り、うつ病には完治というものがありません。
私の隣には見えないうつ病が常にいます。
ただ今は、うつ病になったおかげで分かったことや、気づいたことがあります。
病気になった時は苦しかったですが、なったことを悪いとは今思っていません。
もしも、同じような経験をされたことがある方
今困っている方
その時の自分に素直になって、のんびり生活をしていってほしいです。
決して自分のせいだけではないです。ちょっと胃もたれしてるんです。
のんびりいきましょう。
最後まで、ありがとうございました。