自分は高校を卒業後大手企業に就職しました。

元々は公務員を目指していたものの一次試験に落ち専門学校か就職の2択に迫った時タイミングよく大手からの採用募集があり就職したということになります。

公務員を目指していたということはある程度の安泰を求めていたのかも知れません。

無事大手企業に就職できこれで安泰かと思っていたらそうではないとのちに知ることになります。

給料に関しては地元の中小企業に勤めている友人と大した変わりもないことに驚きでした。

入社するとすぐに本社で新入社員研修が半年行われました。

地元から離れ会社の寮生活、期間は半年。

さすが大手企業だ、人材育成に力を入れている。

採用前から研修に力を入れていることは知らなかったがここまでみっちりと教育されるとは思っていなかった。

研修場所に行くとまずは朝礼から始まり訳のわからないお経を毎朝唱える。

このお経がとにかく昭和の名残が残ってる悪い習慣だと思った。

これが洗脳か、こうやってサラリーマンは立派な社畜になるのかと残り40年近いサラリーマン人生にうんざりした瞬間でもあった。

研修内容はビジネスマナー、会社の方針、会社の歴史など割とためになることばかりだった。

それに加え研修には高卒、専門卒、高専卒、大卒業、大学院卒、と幅広い人が集まる機会だった。

これはとても良い経験になった。

というのも自分は人と話をするのが好きだ。その人がどんなことを考えどんな人生を歩みこれから歩んでいきたいと思ってるのかなどいろいろ興味がある。

これまでは同世代の人としか関わることもなかったがこんな幅広い人と関われることはない。

なおかつそこには全国の人が集まる。

地方も入れば都市出身など様々であり外国人もいた。

自分の世界が広がった瞬間であった。

 

MARCH卒業の大学院生に一つ質問して見た。

「バイトは何をやられていたのですか?」

この質問の意図は高学歴の人はどんなバイトをしているのかとても興味があった。

世間一般に言う低学歴の私とは何か特別なバイトでもやっていたのかと思った。

聞いてみると「ファミレスでバイトをしていた」

と答えてくれた。

正直がっかりした。そこらの人となんも変わりないのかと。

ファミレスのバイトは年齢や学歴が関係なく一律同じ時給だ。

高学歴の人ほどその不遇のなさに何か不満を持つと思い特殊なバイトやビジネスをしてるのかと思ったがそうではなかった。

よくよく考えればそんな人はサラリーマンになる訳ないのだとのちに思う。

他にも質問をしたが印象に残ってるのがこれくらいしか思い出せない。

 

他に思い出に残っているのが頭の良い奴らは休憩時間はタバコとコーヒーを片手に一服していたことだ。

そして休憩後の研修は隣の人が臭かった。

きっと本人はそのことに気づいていない。これからずっと臭い。

 

なんで休憩でタバコとコーヒーを飲むのか考えてみた。

理由①「ニコチンとカフェインのダブル中毒」

就職する前からこの習慣になっていたのかもしれない。

特にタバコを吸って休憩するサラリーマンは誰もが想像つく当たり前の姿だ。

「タバコ=大人」

本人らはそう思いながら吸ってなどはいないと思うが小さい時思っていたに違いない。

 

理由②「一服している俺最高にいけてる〜という自己満」

というのはそのような休憩スタイルをとっている人は皆そんなオーラをただよわせていた。

自分からするとなんて無駄な休憩なのかと思う。

果たしてそれは休憩なのか?ただただ臭くなってるだけだぞ。そう思うのであった。

理由②がこの考察の本質ではないのかと思う。

 

この研修中は自己啓発なども学んだその中でも特に響いたことがある。

「物事の本質を考える」

これは今の社会人生活、そして普段の日常でもとても役立つ。

「本質」を考えて行動する。シンプルなようでシンプルだ。

だができる人とできない人がいる。

後者は何も考えずただ時の流れに身を任せ日々の時間を費やしてる人だと私は思う。

人の本質は考えることだ。すなわち「本質」=「考える」

 

「本質」について研修で学んでから私は少し考えて行動するようになった。

新入社員として自分がもとめられていることは何か。それを考えながら今は仕事に励んでいる。

 

約半年に及ぶ新入社員研修によって私は一皮むけることができたのだろうか?

きっとまだ剥けきれてはいないであろう。

これからの仕事を通してゆっくり剥けていくに違いない。

 

「本質」を学んでから自分は様々なことに深掘りして考えてみた。

・なぜ若者は選挙に行かないのか。

・なぜ若者はSNSに自分の行動を晒すのか

・奨学金をしてまで本当に大学に行く必要があるのか

などなど様々なことを「本質」で考えてみた。

どれも自分一人の知識では答えが出てこない。

だが考えることに意味がある。悩んで考察し自論を唱える。

 

答えは見つからない、答えは一つではないから見つからないのかも知れない。

高校時代の私はがむしゃらに頑張ればそれに伴い成果が出ると思った。

だが実際には違う。

考えて努力したものが報われるのだ。

きっとこの研修を受けていなければ私はずっと平社員でサラリーマンを終えていたのかも知れない。

かといってこの研修を受けたから課長になれるとも限らない。

 

大手に就職したから安泰です。

と言う時代は50年も前の話だ。

 

これからは個人の時代。そう気づいたのはある意味研修のお陰だったのかもしれない、、、