人の集中力というのはおもしろいものです。私はどちらかというと集中力がないと子どもの頃から言われていました。
幼稚園では目立った弊害はありませんでしたが、小学校に上がった私は大変な苦痛を味わいました。
席におとなしく座っていられないのです。
今なら何か障害を持っているのだろうと診断されたと思います。
しかし、当時の先生や両親は特に疑問に思いませんでした。「どこか少し変わった子どもだな」というぐらいの認識でしょう。
それでも学年が上がるにつれて席にはつけるようになりましたが、今度はとにかく授業に集中できません。
同じ年頃の友だちがおとなしく長時間黙って授業を受けていられるのが不思議でした。
もちろん中には私と同じようにじっとしていられない子がいましたが、たいていそういった子はクラスでいうところの落ちこぼれ、しかも男子が多かったのです。
そういった落ちこぼれに子どもは敏感です。
どこか距離を置かれてやけになっている男子もいました。今思い出すと、彼も家庭環境が悪かったのだと思います。
孤児の子どもも何人かいました。そしてそうした子に対して、面と向かって何かを言わなくても、彼らも彼らで何かを察するのでしょう、どんどんいたずらがエスカレートしていきました。
歳を重ねるごとに落ち着きが出てきました。出てくるというよりも、落ち着いた状態を演じていられるといった方がいいでしょう。
表面上は落ち着いて見える私になりましたが、頭の中はいつも落ち着いていません。今でもです。
今の子どもはスマホにすぐ触れるような環境でしょうが、私が初めて携帯を手に出来たのは中学3年生の頃でした。
高校生になると携帯は必需品でしたので、周りの友だちもこぞって買ってもらっていました。
その当時はパケット使い放題などまだなく、ある一定以上使うと通信を切られる状態になっていました。
使い放題がなかったので、そうしないととんでもない金額を払うことになってしまうからです。
携帯に夢中の子どもたちは、月初めに友だちや彼氏・彼女とメールのやり取りをしているとあっという間に制限値に達してしまいます。
そういった制限された時代だったのに、それを不便とも思っていませんでした。
今同じように過ごせと言われたらたちまち嫌になるのは決まっています。そう考えると、当時のけなげだったこと……と涙が出てきます。
とにかく不便でも新しいものに夢中だった私たちは、初めはメールのやり取りを中心に遊んでいました。
親は良い顔はもちろんしませんが、子どもの事情も分かっていたのでしょうか、あまり口うるさくは言われませんでした。
次第にメールをすぐ返した返さない、で揉める友だちも増えてきました。
コミュニケーションとは難しいもので、自分ならばこれぐらい早く返事をするという期待を相手に持ってしまうことで、お互いにぎくしゃくすることも増えていきました。
私はというと、もともと友だちも少なかったのでそんな揉め事にはたいして巻き込まれず(誰彼かまわずアドレスを交換していたクラスのボス女子に少し言われたぐらい)、どちらかといえばネットの方に夢中になっていました。
当時ようやく一家に一台パソコンが当たり前になっていた頃です。
私の家にはまだパソコンがありませんでした。パソコンを使いたいときには、近所の図書館に行って交代で皆で使えるパソコンを友だちと使いに行っていたのです。
当時のネットには何でもありました。
本で読まなければ分からないことも、言葉ひとつで簡単に出てきます。もちろん、それが正しいのかどうかは不明ですが、その時の私にとってはまるで魔法のようでした。
そして調べたいことだけでなく、個人のブログやサイトが急速に普及して行くのを目の前で見ていました。その速さとエネルギーには圧倒されるばかりでした。まだ子どもだった私でも、ブログが簡単に作れるようになったのです。
思春期や青年期の集中力というのはいったいどこから来るのでしょうね。
不思議で仕方ありません。
小学校の頃は、椅子にも黙って座っていられない私でしたが、携帯を手に入れ、何度も機種変更をして、やっとパケット使い放題にした途端にとにかく四六時中携帯を使い込んでいました。
平日は授業があるのでたいして触れませんが、とにかく暇さえあればいじるのです。
授業が終わった時、昼休み、帰りの電車の中、もちろん家に帰ってからもずっとネットに夢中でした。
休日はベッドから一歩も動かず、起きたらそのまま携帯をいじり、ご飯も食べませんでした。
当時は異常だとは思っていませんでしたが、親からすると変に見えたでしょう。
周りの皆も似たような感じでした。友だち同士で遊んでいても、だいたい皆携帯をいじるのです。
通り過ぎてみれば、なぜあれほどまで夢中になれたのか不思議です。
でも子どもは皆そんなものかもれません。今はスマホだけでなくたくさんのゲームに囲まれています。
小学生の集団が、おもてで集まってみんなで携帯ゲームをしているのを見たとき、もう私には変に感じられてしまったのです。